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DJ ONIインタビュー(1/3)

DJ ONI・・・DJ/Track Maker。国内外の5 スターホテル、大使館でのイベントに数多く参加、インド、中国、ミャンマーの5starホテルツアーや、ヨーロッパ、アジア各国でのビックイベントに多数出演。シルクドメタバースのほとんどの楽曲は彼とピアニストJUNKOがTRACK MAKEしている。

動物として音をどう感じるのか

ONIさんがレストランでDJをしているとき、音楽を変えることでお客様にお酒を飲ませたり会話を止めたりして、客の回転率を上げていたのを目の当たりにしたことがあります。音楽にヒーリング効果があるのは知られていますが、食欲まで変えれるとは知りませんでした。

(ONI)例えば、雷の音とか、車の音とか、ガラスの割れる音とか、そういう音を聞くと哺乳類って警戒モードに入るんです。緊急事態だからそれに対処しないといけないので、味覚を止めてしまう。

そんな音響心理学に興味が出たのはいつ頃でしょうか。

(ONI)片っ端から音に関する本を読んでいた時があって。ダンスミュージックは楽譜の少ない反復の音楽なので、コード進行などの音楽理論より、より古代の、動物が音をどう感じるのかに興味がありました。例えば、一度警戒音で体を強張らせてから、解放に持っていくとものすごい落差が生まれる。喧嘩をした後に仲直りみたいな(笑)
そうすると単調なダンスミュージックでも、感情の落差が作れる。

つまり、ダンスミュージックのために音響心理学を学んだ?

(ONI)そうですね。DJを始めたころ、色んな音を駆使してストーリーを作ろうと思っていました。他にも、温度もコントロールしていました。人は夏になると楽しくなり、冬になると体が強張る。なので、フロアを最初ガンガンに冷やしておいて、後半に向かって温度を上げていく。すると勝手に汗が出てくるので、めちゃくちゃ盛り上がって騒いで踊ったと思い、ONIのDJはもの凄い良かったな、となる(笑)。

世界で通用するDJへ

DJを始めたのは、いつごろですか?

(ONI)元々はDJをするつもりは無かったんです。小学生の時に初めてスティービーワンダーをレコードを買って、中学では自分の好きな音楽はヨーロッパの電子音楽だと気づきました。学生のころクラブに行くのは好きで、そのうちDJの友達が出来て、そのとき大量の音楽を集めていたのでDJを勧められたのがきっかけです。

その頃、僕の周りはみんなヒップホップ方面に行ってて、加藤ミリヤさんのプロデューサーとかMISIAのマネージメントとかを同級生がやってて。でも僕はやるなら日本国内で終わらせたくないなというビジョンがあって。そうなると、ヒップホップは英語もネイティブじゃないアジア人じゃ絶対だめだな、と。

それならなんだろうという時に、ケンイシイさんがイギリスのテクノチャートでNo1になり、なるほどと。言葉がない、人種関係ない、宗教も関係ない。それで、テクノ・ハウスに。もっと新しいシーンを作っていかないと、と僕はMySpaceでプログレッシブハウスでずっと国内一位になっていました。黒人だったらヒップホップやってたと思う。

テクノに拘りがあったわけではなく、世界で通用する新しい音楽をやろうとしていたと。イギリスに行くきっかけは何ですか?

(ONI)DJを始めた頃、トッププレイヤーが日本に来たときは全部見に行ってました。バックヤードにも入れて貰って。それでプレイを覚えて、家に帰ったらその技を朝から練習して。テクニックは全て盗んだんだけど、日本にシーンがないから、頑張れば頑張るほど孤立していって。
ある日の朝の五時に、脳に来る情報の8割は視覚だというからそれを潰せばものすごい集中ができるんじゃないかと思い、目を潰そうとアイスピックを持っちゃって。そのとき、なにをやってるんだろう、と。

良かった、冷静になって。

(ONI)それで非常に危ないなと思い、壁に向かってDJをするのをやめて、世界を全部見て回りました。学生でしたし。ニューヨーク、シカゴ、ニューオリンズ、それでロンドンに行ったときに自分が求めていたシーンがあったんです。それで、いつかロンドンに住もうという思いがありました。

その後は自分の音楽を自信をもって勧められるようになり、どんどん伸びていって国内のほとんどのクラブでプレイできたし、アゲハのレギュラーももらえて。その頃は会社員もしていたんだけど、DJが夜だけではなく平日の昼のパーティにもレギュラーが入って、もう限界ですよ。ついに両立が出来なくなって、それで全部辞めて渡英しました。

ONIインタビュー(2/3)

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